小島真知建築都市設計事務所は 小島真知 が主催する一級建築士事務所です。

空間の「心地良さ」
私が建築を設計するときに一番こだわるのは、空間の「心地良さ」です。 これには、構造材や仕上げ材といった物理的に建築の空間を構成する「物」だけでなく、光の移り変わり、空気の動き、そこから見える景色、といった「経験」に係わるものが大きく関係してきます。 そういった「経験」にかかわる事柄に十分留意することによって、人の体と心の動きや変化に合わせた「心地良さ」といったものをつくり出すことが、建築設計における私の最大の課題です。


住宅について
住宅は、その中で営まれる生活の方を合わせる必要があるような、大量生産された、決まりきった「入れ物」や「容器」のような物であるべきではありません。 それはむしろ、本来人によってそれぞれ異なっている「生き方」や「ライフスタイル」をそのまま形にしたようなものであるべきだと、私は考えます。
そして、住宅にはまだまだ新たな可能性が眠っているように思います。 時代や社会の状況が変わり、人々の生き方や暮らし方が変われば、それに合わせて住宅も変わっていくでしょう。 新しい住宅建築を生み出す原動力は、そこに住まう人々の新しいライフスタイルなのです。 まだ見たことのないものを想像する時のワクワク・ドキドキする気持ちが、住宅を含めた建築設計の醍醐味であり楽しさだと私は考えています。 お施主さんの個性的でこだわりのあるライフスタイルを形にすることで、一緒にワクワク・ドキドキすることができるなら、建築家としてこれ以上嬉しいことはありません。 個性的なライフスタイルを住宅として実現するお手伝いができれば幸いです。

建築の可能性
建築も他の文化的なものと同様に時代や社会を映す鏡であると言われます。 しかしながら、その喩えが有意義なものとなるのは、建築が映し出す時代/社会のイメージの中に、建築自身の像も潜んでいることを認める限りにおいてではないでしょうか。 この時、建築は単なる受動的な存在ではなくなり、積極的に都市=社会に関わる可能性を孕んだものとなり得るのだと思います。

つくり手の理論
建築の「理論」(普遍性を謳った大上段に構えたものではなく、つくり手である建築家の個々の考え方といったようなもの)とは、どのようなものとして在り得るのか、考えることがあります。 何か自分にとって新しいものを模索している時には、理論(言葉)は進むべき方向を見定める上で、良い道しるべとなるように思います。 けれども、一旦道が開けてその方向に向かって動き始めると、理論は、実践(デザイン)がそれ以外の方向に進む可能性、有り得べき別の展開の可能性を摘み取ってしまうような気もするのです。 ですから、クリエイティブであるためには、つくり手は一方で新しい方向を見定めるために理論を組み立てることに努力しながらも、他方では常にその当の理論が示す方向から逸脱する可能性を探り続ける必要があると思うのです。 組み立てていくはしから組替えていかなくてはならないようなものが、つくり手にとっての理論である、という風にも言えるでしょうか。 その意味では、つくり手の理論とは常に未完成であり、往々にして実践との関係においてだけでなく、それ自身の内にも矛盾を抱え込む危険性があるものなのかもしれません。 とは言え、理論の有効性が損なわれる訳ではありませんが。